井川聡著『頭山満伝』残りの5章を読み進めた。肝心の大アジア主義を理解できるかもしれない、という期待を思って。しかしやはり読めば読むほどわからなくなる玄洋社と頭山満。そして黒龍会なのだ。
8章で孫の頭山興助氏が同様に指摘ていた。やはりそうなのだ。つかみどころがない存在。
「逸話を並べれば並べるほどわからなくなるというのは、頭山が空だったからです。」p. 576
大アジア主義もそうであろうか?孫文、ボーズ、蒋への支援は書かれていても「大アジア主義」の理論的な話は出てこない。気になったのが、頭山満は洋食嫌い。ベッドで寝たのは孫文の招待でホテルの泊まった時一度だけ、という逸話を紹介し、西洋を否定する頭山像が描かれていることだ。
頭山は本当に欧米排斥だったのか?
それと台湾、満州開発を成し遂げた後藤新平は玄洋社にも重要なはずだが、この本にはちらっとしか出て来ない。黒龍会はアジア大陸、ロシアの諜報機関、今でいえばシンクタンク、研究機関で、工作活動も行っていたのであれば後藤との繋がりがない方がおかしい。これは再度駄場博士の『後藤新平をめぐる権力構造の研究』を読んで見たい。
さらに、私が研究者としてではなく、実務者として感じたことは頭山はじめ玄洋社の孫文、ボーズに対する支援が、仁義に則った尊い行動とはいえ、正しかったのであろうか?という点だ。もし、孫文とボーズの話が現在の問題であったらどうであろうか?中国、インドをめぐる各国の思惑、中国とインドの国内政治、伊藤公が後藤に言ったように世界は虚実に塗れている。
私の身近の例だ。西パプアやニューカレドニアの独立運動の指導者と知り合いである。支援を打診されることもあるが、そのリーダーたちの危うさ、地元の社会の危うさを知っているので「仁義」では支援できない現実がある。もちろん支援できるような力もない。
それから笹川良一青年。この本には出て来ないが吉野作造の紹介で晩年の後藤新平に会いに行っている。頭山満のことも当然見ていたであろうし、どこかで接触があったかもしれない。
続いて葦津珍彦氏の『大アジア主義と頭山満』。以前読んだが何も印象に残らなかったが今は少し背景がわかるようになったので何か見えてくるかもしれない。