最初は第3章の国際連盟だけ読むつもりが、ヨーロッパ公法が国際連盟の設立を機に国際法へ変わった、という話ではないか、と思い、前の章から読むこととした。
面白い、けど難しい。
第1章 ヨーロッパ全体による最後の陸地取得(1885年のコンゴ会議)p.270-286
第2章 ヨーロッパ公法の解体(1890年ー1918年)p. 287-305
第3章 国際連盟、および大地のラウム秩序の問題 p. 306-332
第1章 ヨーロッパ全体による最後の陸地取得(1885年のコンゴ会議)p.270-286
・ヨーロッパ公法の最後の全盛期はアフリカにおいてヨーロッパの探検家や新設植民会社の独特な競争が演じられた。
・同時期1870−1890年、アジア、特に日本が世界郵便同盟のような行政共同体へ、条約関係へ、そして同権者としてヨーロッパ国際法の全秩序へ受け入れられた。
・1884,1885年、ベルリンにおけるコンゴ会議の成果。ベルギー国王レオポルトが「文明がまだ滲透していない地球の唯一の部分に文明をもたらすこと、全住民の上におおっている暗黒を突き破ること、このことは、あえていうならば、この進歩の世紀にふさわしい十字軍なのである。」
・自分で勝手に正しいとするヨーロッパ文明、および世界包括的な自由な経済システムへの信仰が、非ヨーロッパの土地の陸地取得を正当づけするために、先占という法律学的な概念と結合。
・コンゴ会議の期間中、フランス(de Courcel)とポルトガル(de Serpa Pimentel)は植民地の海外の土地を「国家領土」というヨーロッパの土地と全く同一の支配領域であると主張することによって、土地状態の無差別な同一性を主張。
・1885年にヨーロッパの監視下で独立国家となったコンゴの権原を実効的先占で議論する。ブリュッセルの法学者ポール・フェレラは「独立コンゴ国家の主権の起源は、スタンレーによって黒人の酋長たちと結ばれた400の条約からも、列強の承認からも生じなくて、先占そのものの事実から生じ、また、その住民がこれまで未だわれわれの言葉の意味での国家に全く従属していない領域の組織から生じている、ということは明瞭である。」 p. 281-282
・このベルギーの国際法的承認ではなく、実効的先占をシュミットは非難している。
・ヨーロッパ強大国の協商(コンサート)の国際法史専門家Charles Dupuisによって1908年に、ヨーロッパ国際法の解体は宣言された。
・1919年のパリ郊外での陸地分割に際して、ジュネーブ国際連盟において、大地のヨーロッパ中心的なラウム秩序の思考は完全に捨てられた。
1885年のコンゴ会議の条約はこれであろう。
General Act of the Berlin Conference on West Africa, 26 February 1885
http://loveman.sdsu.edu/docs/1885GeneralActBerlinConference.pdf