やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

『大地のノモス』カール・シュミット著 ヨーロッパ公法から国際法へ(2)

カール・シュミットの『大地のノモス』第4部のコンゴ会議が長くなったので、 第2章 ヨーロッパ公法の解体(1890年ー1918年)p. 287-305 はこちらに。

コンゴ会社の旗が米国に承認された1884年4月22日に、「ヨーロッパ的な国際法が、自覚することなく徐々に解体したということについての兆候」であり「ヨーロッパ公法が無差別にユニバーサルな世界法へと没落していくということは、もやは抑止することはできない。」

・明瞭な孤立化(欧州からの)とユニバーサル主義・人道的な干渉という、米国特有の動揺。これが1919年にも現れる。

・1890年頃まで「ヨーロッパ国際法」と依然として名付け、文明民族、半文明民族、野蛮民族という区分をしていた。

・合衆国とラテン・アメリカ諸国は「アメリ国際法」を作ろうとしたのと対象的に、「アジア諸国は、一切の問題を意識することなく、外見上依然としてまったくヨーロッパ中心的な国際法の中へ滑るこんでいったということは、奇妙なことである。…このことによって、無差別にユニバーサルな国際法へと変化したのである。」(p. 292-293 下線は筆者)

・日本は、1894年のシナとの戦争、1904年のロシアとの戦争でヨーロッパ的な戦時法規の規則を守り、ヨーロッパ強大国と同権になった。

・ヨーロッパ国際法はヨーロッパ以外の国家にも解放される。日本は文化のあらゆる点でキリスト教的即ちヨーロッパの平均水準にあり、国際法をヨーロッパのどの国家よりも厳格に遵守した。

・「グロティウス以降の国際法の体系および理論についての文献史的概観」の著者リヴィーアは、ヨーロッパの25の主権国家アメリカの19の主権国家、そしてアフリカ、アジア諸国家、と後者は「主権」という言葉を外している。

・結果、国際法ラウム秩序を失い、戦争の保護限定も失った。政治的問題、経済的問題、ラウム分割問題といった全ての真正な問題は非法律学的である、と追放された。

そしてこのヨーロッパ公法解体と新たな国際法の試みが国際連盟という組織で行われる、ということなのであろう。

このヨーロッパ公法を国際法にしたのは日本ではないか?日本はヨーロッパ公法をあらゆる面から受容する準備をしていたのではないだろうか?だからヨーロッパが数百年かけて形成した法的秩序、ラウムは日本がユニバーサルにもしたが、本質的な意味では壊した、と言うことではないだろうか?

なぜ日本は、アジア公法を作ろうとしなかったのであろうか?無意識だったのか。意識的だったのか?

次回に第3章 国際連盟、および大地のラウム秩序の問題 (p. 306-332)をまとめて、シュミットとは暫く離れることとしたい。