やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

不戦条約とグロティウス的戦争観ーメモ

長谷部恭男著『憲法講話』第4講平和主義の最初の節が「不戦条約とグロティウス的戦争観」である。

そこに「不戦条約が覆そうとしたのはグロティウス的戦争観」と認められている。一瞬「そうなんだっけ?」と思いつつも大先生の書かれた事に間違いは、少なくともそのような解釈もあるのであろう、と読み流していたら、同じ本を読んでいた国際法研究者からカール・シュミットの戦争論を紹介していただいた。

といってもシュミットの戦争論を議論した柳原正治先生のペーパーである。プリントして手元にあったのだが、今日やっと読んだ。

冒頭には、中世から近世に正戦論が支配的で、18世紀後半から19世紀初頭に「無差別戦争観」に転換。それが第一次世界大戦以降「戦争の違法化」に進んだとある。しかしこれも日本の一般的教科書の理解で海外では違う、という。

西洋の教科書には「無差別戦争観」という言葉が使われていない、というのだ。ではなぜ日本でその言葉が、いくつかの意味で使われるようになったのかを、シュミットの論文を紹介しながら解説されている。

シュミットのノモスの戦争論の部分は読んだ記憶がある。国際連盟、ベルサイユ条約への恨み辛みが行間から滲み出ているのが印象に残っている。

 

いわゆる「無差別戦争観」と戦争の違法化
カール・シュミットの学説を手がかりとして
 
柳原 正治  世界法年報 2001 年 2001 巻 20 号 p. 3-29

https://www.jstage.jst.go.jp/article/yearbookofworldlaw1986/2001/20/2001_20_3/_pdf/-char/ja

 

9条改正の話に直結するこの不戦条約。この議論を知って改憲運動をしている人はどれだけいるのであろうか?

 

長谷部先生が「不戦条約が覆そうとしたのはグロティウス的戦争観」と主張した根拠はどこにあるのであろうか? 私は専門分野でもないので、否定も肯定もする議論はできないが、第一次世界大戦の背景にあった植民地拡大の世界の動きと、グロティウスの時代とでは違うはずだ。(グロティウスも読んでいません。)