1909−1910年、Karl Haushofer は京都の泉涌寺通りにある法音院の一角に住んでいたと、これはシュパング博士のペーパーにあった記憶がる。 泉涌寺は二度ほど訪ねたことがあるが法音院があることすら気づかなかった。 先日、時間が空いたので訪ねてみた。標識も何もないからどこに住んでいたかは、分からなかった。
法音院は泉涌寺総門を入ってすぐ右側にある。
元々は神道なのだろうか?
あたりの様子は107年前と大分違っていると思うが、こんなお地蔵さんたちはハウスホーファーが見たままかもしれない。
神道と仏教をハウスホーファーは学んだであろう。
例えばこんな言葉をドイツ語に訳してヒトラーやヘスに伝えたところで、どのように理解されたであろう?ハウスホーファー自身が神道や仏教をどのように理解していたのであろう?
泉涌寺への道は昔のままであろうか?ここを夫人と歩いたのであろうか?
法音院の前に咲いていた白椿。自然のあり方も、ドイツの、ゲルマンの自然とは違うのではないか?
もしや住居跡があるかと思って法音院の後ろに回って見たが日本家屋が密集しているだけであった。遠く嵐山(だと思うけど)が見えた。ハウスホーファーもこの景色を見たであろうか?
結構歩いて疲れたので苺大福を頬張った。107年前に苺大福はなくとも日本料理をハウスホーファー夫妻は堪能したであろう。