やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

タオテ・シノトの遺言

タオテ・シノト、(Dr Yosihiko Sinoto、篠遠喜彦博士のポリネシア語読み)が昨年亡くなられた。 ハワイのビショップ博物館のタオテ・シノトの遺跡保護人材育成事業を笹川平和財団が支援させていただいたが、その前に、私が財団に入った時に始めた、土方久功翻訳事業の時に序文を書いていただいたのだ。

土方久功翻訳事業は民博の前所長須藤健一先生が財団に持って来られた案件で、どうにか4巻訳すことができた。土方久功はパラオで中島敦とも交友があった芸術家である。そして民族学者でもあった。彼の日本語の文献を英訳する事が世界の太平洋研究者から、そしてパラオの人々から切望されていたのだ。 タオテ・シノトにはいつもで会えるような気がしていた。ハワイで、タヒチで。 未だに亡くなられた事が信じられない。

タオテ・シノトは私が太平洋島嶼国にどのように対峙すべきか決定的な価値観を示してくれたのだ。 それがこの序文にある。 本当は書き写したかったが、時間がないので写真を撮った。 ここにある「西洋人は南洋の物語を求めて南洋に行き、そこに期待していたような楽園がなかった事に消沈する。ゴーギャンやスティーブンソンのように。しかし、土方は違った。南洋は彼に豊かな場所である、土方はパラオ人に、サタワル人になる事を切望したのだ。」 そして土方に自分を重ねるタオテ・シノトの姿も私には見えた。

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西洋人とは違う太平洋島嶼の魅力は日本人であればこそ感じるところがある、となんとなく思っていた。それは西洋文化の影響を受けつつ自分たちのアイデンティティを求めようとしている太平洋島嶼国の人々の姿を見て感じていた事だ。タオテ・シノトの言葉で、太平洋島嶼に自分がどう関わって行くか、一つの方向性が示されたのだ。 笹川太平洋島嶼国基金をマイナス状態から立ち上げていた時に出会ったタオテ・シノトのこの言葉は、私にとっての遺言である。