今回の島サミットに、タヒチ、正確には仏領ポリネシアがニューカレドニアと共に参加することとなった。これを喜ぶのは昨年亡くなられた篠遠喜彦博士であろう。
なぜ私が、篠遠先生にタヒチに関連を持つようになったのか。
これも笹川平和財団の不正・腐敗と関係してくるのだ。先に書いたように国交省から財団に来ていた天下り幹部が不正・腐敗していることは笹川陽平氏から私が財団に入った年に聞いていた。しかし、私はそのことを追求する立場でも、全容を知る立場でもない。距離をおく努力をすることしかできなかった。
笹川陽平氏も黙って見ていたわけではなく「毒を以て毒を制する」ような事をされていたのだと思う。但し、その2つの毒をなんと私がマイナス状態から立ち上げた島嶼国基金に持ってきたのだ。これだけは私は笹川会長を恨んでいる。
この背景を書かないとなぜ私が篠遠先生に、タヒチを知るようになったか説明できないのである。
その毒の一人は、私に裏金づくりを唆しただけでなく、勝手にハワイに飛んで篠遠喜彦博士がライフワークとしているタヒチでの考古学調査事業支援を約束して来てしまった。基金のガイドラインなど全く無視である。
しかもタヒチは仏領。基金は基本的に独立国を対象としていた。ここで「やってられません」と去る勇気はなかった。なぜか?自分がマイナス状態から、しかも陰湿な財団内のイジメを受けながら立ち上げた基金である。
それで私は、なんとか基金ガイドラインに沿うように修正して立ち上げたのである。換骨奪胎。
幸い、篠遠博士は笹川陽平氏が送り込んだ「毒」が自己顕示欲を満たすための事業をしようとしていた事に気づいていた。篠遠博士はタヒチの今を生きる先住民の人たちに伝統の凧揚げを復活させ、言葉を復興させ、自立の精神を支援していたのだ。
真っ当な、島の人たちのためになる事業に修正し、進めれば、笹川会長が送り込んだ「猛毒」から基金を守ることができる。そんな必死な思いがあったので、タヒチへの思いも強くなった。
幸い、その毒は1年でいなくなったのだ。私が耐えられず「もうやめます」と伝えたところ本人が辞めると運営委員会で宣言し、誰も止めなかった。さすがに周りもその毒の横暴さに気づいてのであろう。
ところで、この2つの毒は1989年に設立された島嶼国基金をこけさせた四人の大の男の2人である。誰も島嶼国の事を真剣に考えていないのだ。
タヒチの事は島サミット特集で書きたい。
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