やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

日本はセンチメンタルな植民者か?

日本統治時代の朝鮮の教科書 というサイトがある方のFBで紹介されて、日本人は「センチメンタルな植民者」であるとのコメントがあったので、これは新渡戸の植民政策を学んでいる者として聞き捨てならぬとセンチメンタルと思う理由を尋ねた。植民地の人民を日本同様に啓蒙できると考え実施したのは世界で日本だけ。これがセンチメンタルでなくてなんであろう、とう回答をいただいた。

 ついでに米国のアジア進出を書いた"Sentimental Imperialists"という本もご紹介いただいた。同志社にあったので最初と最後を読んでみたが、いかに米国がアジアどころか、自分自身のこともわからずにアジアと付き合ってきたかが書かれている。

 米国はまともな植民地政策学がなかったはずである。私の勘違いかもしれない。そもそも自分たちが植民地から独立し、「植民」を否定して自由とか、平等とか、自決権を高らかに唱ってきたし、今でもそうなのではないか?

 ところが日本の植民政策は、アダムスミスを中心に英国・ドイツの経験と研究に学んだ「科学的」なものなのだ。これは台湾の植民を成功させた後藤新平からの流れである。確かに1937年、日中戦争を批判した東大の矢内原(後藤、新渡戸の後継者)を追い出した後の日本の植民政策は科学的政策を失ってセンチメンタルになってしまったかもしれない。そして、後藤の植民政策は徹底したリアリズムが散見できるが、キリスト教信者でもある新渡戸、矢内原の植民の論文の行間に「センチメント」を感じることは時々ある。しかし彼ら2人も徹底した学術研究者で、基本的にはセンチメンタルで植民を議論しない。

日本統治時代の朝鮮の教科書 には、その科学的植民政策を見ることができる。すなわち韓国の歴史、文化、価値観を尊重しているのだ。後藤の「平目と鯛」セオリー、すなわち平目の目を鯛に移植しても鯛のようにならない。現地文化・習慣を十分研究し、無理な同化政策はしていないことが見て取れる。今もあるアジア研究所など地域研究の起源は後藤が作ったのだ。

 そんなことを考えていたら、韓国人の学者による日本の植民政策を分析するビデオで、日本人がそんなに韓国人を搾取し、ひどく扱っていたら日本人の利益にならない、という合理的な説明をしていた。そう。これこそアダムスミスが国富論の中の植民の章で論じている事、なのだ。

 

www.youtube.com

 

<参考ブログ>

 後藤が英国の対香港植民政策を参考にして作った、日本の台湾植民政策である。
 これがセンチメントとは思えない。いや後藤の文章を読んでいるとセンチメントを感じる部分もある。植民とは人間相手の仕事だ。逆にセンチメントがなくしてはできない作業である。しかしそれでも「科学的植民」を後藤は、当時の日本は目指したのである。

第一、予め一定の施政方針を説かず、追って研究の上、之を定む。研究の基礎を科学殊に生物学の上に置く事。

第二、文武官の調和を図るべし。

第三、統治の政務多端にして、眼前処理すべき問題蝟集すと謂も、遠き将来に亙る調査を閑却すべからず。即ちこの方針に従い、地籍、人籍の調査をなすを要す。但し目下政務多忙、且つ人籍は容易に移動するものなるが故に、人籍調査は之を後日に期し、最初と地調査に着手すべし。

第四、台湾と本国との法制上の関係を研究すべし。

第五、宗教は人生の弱点に乗ずるものにして、植民政策上重要なる意義を有するものなり。然るに台湾に置いては、有力なる宗教行はれざるが故に、宗教に代わるべき衛生上の設備を完全にするを要す。

第六、警察機関、司法機関の組織は特殊法を必要とし、殖産の奨励、交通機関の改善に就きても亦特殊的方法を講ずるを必要とす。

第七、土匪鎮定、生蕃討伐を行うべし。但し土匪は最も迅速に鎮定する必要あり。生蕃討伐は永久的計画を以てすべし。

第八、民族的若しくは種族的自覚に対し、適当なる處理をなすを必要とす。

 

新渡戸の植民政策講座は全集の4巻にある。英語では下記の論文がある。

Japan as a Colonizer

Inazo Nitobe
The Journal of Race Development
The Journal of Race Development
Vol. 2, No. 4 (Apr., 1912), pp. 347-361 (15 pages)