やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

初めての札幌ー台風・地震・中国人そして国際法学会と北大文書館(5)

 初めての札幌。初めての国際法学会に参加するためだった。

しかし本当の目的は北大文書館を訪ねる事だったのだ。新渡戸の植民政策を知ってから北海道大学と日本の植民政策の関係を初めて知った。同大学にはクラーク博士の他に新渡戸の銅像もある。

そしてこのブログでも取り上げた『ドイツ南洋統治史論』を書かれた高岡熊雄博士が学長を務められ、その資料が文書館にある、という。

  私は国際法学会終了後札幌に4日間、この文書館に通う予定で旅程を立てていたのだ。しかしその日、あの地震がやってきた。札幌の町は何もかも止まっていた。電話も使えない。ダメもとで文書館まで歩いて出かけたのである。

Hokkaido University Archives

当然休館であったが、以前から閲覧の予約を入れており私がわざわざ京都から来た事を気の毒に思っていただいたのであろう。特別に閲覧を許された。何十とあるリストから南洋関係のものを幾つか選んで手書きの高岡の原稿を読む機会を得た。2時間ほど読み進めると手書きの崩し字の癖もわかって来る。

リストの中に後藤新平からの手紙というのがあってこれも拝見した。ドイツ留学の後藤と新渡戸が高岡に影響を与えたのだと思う。後藤の手書きの書簡は手に取っただけで震えた。でも読めない。FBF に親切な方がいてお知り合いの長崎在住の学芸員の方が解読してくださった。お礼と挨拶らしいのだが漢字の手紙も完璧に理解できません。(汗)

 

拝啓

日頃暑熱相加候処

益々御清意被為在

を同豫宅之引程を

呼へ叶候、無異論

圓致候、乍憚同志

諸賢へも可然く

致度く奉仰上候、

折角為国家

御自愛奉祈上候

右不取敢御礼

まて得貴意候

   草々 敬具

 

 大正二年六月廿八日

     男爵 後藤新平

 高岡熊雄 殿

 

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高岡も自決権を批判している。

拝見した書類がすべて同じ封筒に入っており、そこにプリントされた住所が気になった。公職追放になった高岡の文書を連合国は上海まで取り寄せて中身を確認したのであろうか?なぜ上海に米国農務省の事務所があったのか?日本人が目にしていない高岡の植民政策の論文は上海でコピーされ、英語だけでなく、中国語、ロシア語に訳されたのではないか?矢内原の「帝国主義下の台湾」のように。

高岡研究、日本国内でほとんどされていないのだ。再び札幌を訪ねる機会があると良いのだが。

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