やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

五十嵐正博著「国際連合とミニステート」

 このブログで叫んでいる小国の限界。いくらナンでも人口数万人の国家と数千万人の国家が同等というのは無理がある。その無理は小国自身に、具体的には女の子達が自国のリーダー達の手で麻薬漬けにされて売春させられるパラオのような小島嶼国、しかもフェイク海洋保護区という美名の下、世界に名声を得ている小国で行われる結果を招いているのだ。

 この問題を国連が、国際法学者が、国際政治学者が、はたまた開発学者気がついて論じていないわけがない。特に1960年の国連決議、植民地独立付与宣言を契機にどんどん誕生した小国とその結果もたらされるであろう、恐ろしい未来想像できないはずない。全員が全員、ルソーの間違った自由論を発端に形成されてきたあやふやな概念である「自決権」に脳みそが犯されていたとは思いたくない。人類はそんな馬鹿ばかりではないはずだ。

 五十嵐正博著『提携国家の研究』に、従属地域すなわち植民地は常に独立の地位を選択したわけでも、国連が当該地域の自決と独立を支援しながらも必ずしも独立という選択だけを示してきたわけではないことが書かれている。その選択の一つが提携国家だ。(同書の2頁)ここに記述にある参照文献、五十嵐正博「国際連合とミニステート」のコピーを入手して今日読んだ。もっと早く読んでいればよかった。。

 五十嵐正博「国際連合とミニステート」 法と政治。第28巻第2号、1977年10月、関西学院大学法政学会

 私と同じような懸念を持った人は1977年にもいたのだ。当時は世界の人口の4%が国連総会の3分の2の多数を占めるのでは、という予想がされていた。私の統計では、現在2%に満たない人口が2分の一の投票権を占めている。

 

ミニステート問題は1965年のガンビア(人口30万)、モルジブ(人口10万)の国連加盟申請をきっかけ議論が始まったという。(222頁)

国連憲章第4条第1項では、加盟国の義務がうたわれているが小国にその義務遂行能力があるか、そしてその参加が国連自体を弱める可能性を指摘する声が当初からあった。同時に安保理のマジョリティが普遍性の原理にも言及している。米国は、新しい加盟国が国連憲章の義務を履行する意思だけでなく能力も必要である、と指摘している。フランス、イギリスも同様な意見を述べていた。(246頁)

 興味深いのは1970年、安保理におけるフィジーの加盟申請審議を議論を最後にミニステート問題は消えてしまうんだそうだ。(253頁)。ここで引用されているMichael Gunter の1973年論文、”The Problem of Ministate Membership in the United Nations System: Recent Attempts Towards a Solution” も入手できたのでこれは後日読んでみたい。なぜフィジーのケースが最後だったのか?海洋法条約との関連が臭う!

 現在、国連加盟国の多くの小島嶼国、途上国は分担金の支払いを怠ったり、中国やNGOからの賄賂で個人の懐を潤す。そしていかようにも国連の議論を方向づける数のパワーを噛み締めているように見える。まさに小島嶼国家群 SIDSだ。しかしそれは国際秩序の観点から、危険な遊びでしかない。私の下手な説明でピンとこない人は捕鯨問題を思い出して欲しい。一体小国のうちどれだけの国が捕鯨に関する科学的データをもち、分析できる能力があると思いますか?

 トランプ政権の国連批判。国連の実態を知れば知るほど頷いてしまう。