やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

光格天皇とモーツァルト レクイエム

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 「死は【厳密に言えば】ぼくらの人生の真の最終目標ですから、ぼくはこの数年来、この人間の真の最上の友とすっかり慣れ親しんでしまいました。その結果、死の姿はぼくには少しも恐ろしくなくなったばかりか、大いに心を安め、慰めてくれるものとなりました! そして、死こそぼくらの真の幸福の鍵だと知る機会を与えてくれたことを(ぼくの言う意味はお分かりになりますね)神に感謝しています。ぼくは(まだ若いとはいえ)ひょっとしたらあすはもうこの世にいないかもしれないと考えずに床につくことはありません。」 

(モーツァルトが1787年ザルツブルクの父に当てた手紙。モーツァルト書簡集Ⅵ。海老沢敏、高橋英郎編訳。より)

 

 モーツァルトが死を目の前に「レクイエム」を作曲した1791年から4年前に書かれた、彼の死生観です。この死を積極的に迎え入れる思想はモーツァルトが入会したフリーメイソンから来ています。なぜモーツァルトはフリーメイソンに入ったのでしょう?当時まだ大衆文化、すなわち大衆市場がない時代、芸術家は宮廷や教会に雇われの身でした。モーツァルトも宮廷楽団に職を得ますが自由な芸術活動をのぞみ、召使いのようにこき使われる大司教の元を去りました。それが25歳の時。翌年26歳で結婚。28歳でフリーメイソンに入ります。そこで多くの芸術家と出会うのです。

 モーツァルトは次々に魅力的な曲を創作して行きます。29歳で「フィガロの結婚」。31歳の時は「ドン・ジョバンニ」。32歳の時に「三大交響曲」。34歳で「コシ・ファン・トッテ」。そして亡くなる35歳の時に「魔笛」と「レクイエム」を作曲しています。自由な芸術活動を選んだモーツァルト。父親との葛藤やお金の苦労はあったようですが、フリーメイソンとの出会によって、芸術家として自由な創作活動ができ幸せな人生だったのでは?

 ところでメイソンは石工の意味です。フリーメイソンをそのまま訳すと「自由な石工集団」。手に職を持てば、仕事を選んで自由に移動でき、特殊技能と知識を持ったネットワークが形成されます。教会の枠に縛られない自由な集団。石工だけでなく、芸術家も多く参加しました。ゲーテ、シラー、リスト、ベートーヴェンもフリーメイソン。ベートヴェンの第9第『歓喜の歌』はシラーの歌詞でまさにフリーメイソンの精神を讃える内容です。 

 「レクイエム」(安らかに)は「死者のためのミサ」の最初の歌詞、「主よ、彼らに永遠の安らぎを与え…」から来ています。今まで2千曲近いレクイエムが作曲されて来ました。その中で劇的なレクイエムが作られるようになった背景には教会音楽にオーケストラをつけることを許可したレオポルト2世神聖ローマ帝国ローマ皇帝1747年1792年)の存在があります。レオポルト2世の判断がなければモーツァルトのレクイエムは誕生していなかったでしょう。

 2曲目のキリエ以外はラテン語です。ラテン音楽といえば、南米の音楽ですが、レクイエムのラテン語と随分イメージが違いますね。モーツアルトは13歳の時にラテン語で手紙を書いています。当時音楽を志す者としてラテン語とイタリア語は必須だったとのこと。天才と言われるモーツアルトですが、地道な努力を子供の頃から継続していたのです。亡くなる数年前には自分のことを次にように語っています。

「長年にわたって、僕ほど作曲に長い時間と膨大な思考を注いできた人は他には一人もいません。有名な巨匠の作品はすべて念入りに研究しました。作曲家であるということは精力的な思考と何時間にも及ぶ努力を意味するのです」 

 さて、モーツアルトが生きた1756年- 1791年の35年間、ヨーロッパは劇的な時代を迎えます。ルソーなどの啓蒙思想家が唱える自由と平等の名の下に1776年米国が独立。モーツアルトが20歳の時です。モーツアルトが死ぬ2年前の1789年にはフランス革命が起こります。音楽は時代を反映するもの。モーツアルトもこのような社会の動きを敏感に感じ取っていたでしょう。「自由と平等」を望んだ人々の心の動きを楽曲に反映させていたかも知れません。

 その頃日本では天明の飢饉が起こり幕府の対応が悪く光格天皇(1771年1840年)が救済にあたります。日本では独立運動も革命も起こりませんでしたが、尊皇思想が発達。光格天皇は朝権の回復に熱心で、朝廷近代天皇制へ移行する下地を作ったと評価されています。

 私たち京都鴨川混声合唱団の練習場の近くに光格天皇御胞塚があり、歌道の達人でもあった光格天皇がモーツアルトのレクイエムを聴いているような錯覚を感じました。きっと気に入っていただけたでしょう。