「提案の進展を、全米千二百万の有色の人々が注目している。」
百年前、米国のアフロ・アメリカン紙は、パリ講和会議における日本の提案について、こう記しました。
一千万人もの戦死者を出した悲惨な戦争を経て、どういう世界を創っていくのか。新しい時代に向けた理想、未来を見据えた新しい原則として、日本は「人種平等」を掲げました。
世界中に欧米の植民地が広がっていた当時、日本の提案は、各国の強い反対にさらされました。しかし、決して怯(ひる)むことはなかった。各国の代表団を前に、日本全権代表の牧野伸顕は、毅(き)然として、こう述べました。
「困難な現状にあることは認識しているが、決して乗り越えられないものではない。」
日本が掲げた大いなる理想は、世紀を超えて、今、国際人権規約をはじめ国際社会の基本原則となっています。
第二百回国会における安倍内閣総理大臣所信表明演説 令和元年10月4日 より
安倍総理の所信表明で人種差別撤廃の件が述べられていることがSNS で取り上げられ、批判と支持の議論が飛び変わっていた。
以前池井優氏の論文を読んで日本提案の第一の目的は米豪加における日本移民の差別への対応であったことを確認できた。第二の目的として将来的な黄色人種に対する差別の撤廃があった。
当時、人種差別が当然のこととして構築された世界の秩序を崩壊させるような提案を日本はするであろうか?三国干渉で日本は痛い思いを、すなわち西洋列強の縄張り意識を嫌という程学んでいたのではないか?
この安倍総理の所信表明に反対する意見として、日本は当時人種差別を前提とした植民を行っていた、というのも見かけた。日本の植民政策は先住民の福祉重視であった。区別はあっても差別は、基本的に国家政策レベルではなかったはずだ。新渡戸の植民政策論などを読めばよくわかる。ただし、日本人、個人個人の植民地での先住民に対する差別はあったようで、これは伊藤博文に日韓併合を数時間に渡り説得した新渡戸が、日本人の俥引きが朝鮮人を差別することに腹を立て、力車から飛び降りて胸ぐらを掴んだ話もある。
パリ講和会議での日本提案だけが現代国際社会の基本原則を導いたのであろうか?
世界の歴史を知れば、欧米の植民者たちも人種差別に戦った歴史を多く知ることができるし、何より日本の植民政策は英国の、特にアダム・スミスの植民政策を参考にしていることを鑑みれば、安倍総理の日本賛歌は、池井論文が引用した堀内謙介の指摘を思い出さざるを得ない。
「直接利害のある問題にだけ没頭し、世界全般に関係する平和機構の問題とか、国際労働の問題とかについてはまったく研究が行きとどかず、いかにも視野がせまく…」