やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて30年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

カール・シュミット『現代帝国主義論』(5) 現代帝国主義の国際法的諸形態(1932)

翻訳者の長尾氏が本の題名に選んだ、すなわち一番重要な位置づけの論文である。

米国が経済的帝国主義国家である事を書いている。それはアメリカの建国精神にも観られる政治と経済を対比して帝国主義に見せていないだけで、シュミットは「ともあれ米国の帝国主義は経済的帝国主義である。」と断言している。(47頁)

 経済的拡大・搾取が非政治的で「平和的」であるとの主張は19世紀の遺物である、とも。(47頁)

 48頁からの近代ヨーロッパの植民の動きが議論されている箇所は是非論文に引用した。連盟規約22条の委任統治に繋がってくるからだ。

  • 「国際法はキリスト教諸国の法なり」という定義は19世紀にも広く採用されていた。
  • キリスト教対非キリスト教国の対置として
  1. 「治外法権条約」
  2. 「文明国・非文明国・半文明国」の区分と非文明国=植民地 半文明国=保護領 の上に国際法的諸形式が構築
  3. 最も特徴的残滓が連盟規約の委任統治の形態である。一時代を最終的かつ古典的に総括したもの。(シュミットは委任統治が信託統治、自由連合へと継続しているのをどう評価したであろう?)
  • このヨーロッパの概念に対し米国は新概念を創設。債権国と債務国 である。

次にシュミットは1823年の米国のモンロー主義について議論している。これに英国も協力したが、要はアメリカ州の盟主的地位(ヘゲモニー)の国際法的武器、となった。(51頁以降) 

56頁以降で米国のモンロー主義と国際法についても議論されている。ここも大変興味深い。「国際法において貫徹しえない法と政治の二者択一観の上に成り立っている」という表現は西平等先生の「法と力」の議論を思い起こす。

米国のモンロー主義に世界が服してしまった徴表が連盟規約21条。 シュミットは「米国と国際法的関係を結ぼうとするものは、米国がこの言葉を譲らない事を知らねばならぬ」と米国の横暴さを指摘している。ここはもしかしたら長尾氏が戦後に日米関係に重ねた指摘かもしれない。58−59頁

60頁以降。そして米国のモンロー主義こそ干渉条約の法的根拠を生み出した。1823年の米国のモンロー主義宣言は非干渉の原則、神聖な非干渉、さらに干渉条約に発展する。すなわち主権国家として存在するキューバ、ハイチ、サン・ドミンゴ、パナマ、ニカラグアに干渉条約が適応され米国の「統制」を受けた。この後も米国の南米支配、統治、植民の話が続く。

67頁 米国はフランスに強要して連盟を設立。米国は加盟せずも影響下にある18のラテンアメリカを加盟させ米国のモンロー主義を21条で確保しながら、ヨーロッパ情勢には干渉できるシステムを作った。

71頁 不戦条約、1928年8月27日のケロッグ条約の議論も興味深い。米国政府は地上の平和の決定権を連盟から奪ってしまったのである。この時新渡戸は既に連盟を去っている。

73頁の 満州事変に関する議論も興味深い。戦争か平和に分類し満州事変は戦争ではない、という主張を批判的に議論している。そして、連盟は国際関係を法制化したことに功績をもとめているようが、まさに不戦条約のような(間違った)概念構成をしただけである。連盟は満州事変を自衛手段と認めている。イギリスは留保。

76頁 不戦条約に関する議論も難しいが興味深い。決定的重要性をもった政治概念について重要なのはその解釈者・定義者・適用者であり、それは真の権力者である。「皇帝は主にして文法を超ゆ」(ここら辺がヒトラー支援につながるのであろうか?)

77 最後にシュミットは帝国主義で怖いのは軍事、経済ではなく、政治的・法的概念を自ら決定権を握られることだ、と。そして敗戦国(とは書いていない。受け身にたったドイツ国民)にとって極めて危険である、と。ここは戦勝国であったはずの日本が重なる。 EHCarrの「危機の20年」によれば日本は不満を持った国と形容され、軍事も経済も削ぎ取られた。政治的・法的概念はどうであったのだろう?そして連盟事務局次長であった新渡戸はこれをどう見ていたのか?