久しぶりに国際法のブログ。
2008年に自分一人で立ち上げたミクロネシア海洋安全保障事業。海洋問題を体系的に学びたいと国際法の観点から学び出して5年が過ぎた。海洋法ですら理解できないのに、他の分野は関心は持てど尻ごみせざるを得ない。
それでも広い視野を求めて、一昨年前東京駒込大学で開催された世界法学会に参加した。学会テーマ「国際法・法源論の再構築」自体に興味を持ったからである。刺激的な議論の中で、目黒麻生子さんという若い女性(これポリコレ上問題あり?)の発表が記憶に残り、その論文を読みたいと思っていたが、先週やっとダウンロードして拝読。そこに引用されていた小栗寛史著「国際法の形成における国家の同意の役割ー国家の同意は衰退したのか?ー」も続けて拝読した。
目黒氏は国際法理論を専門にされているようだが、経済産業省のお役人でEuropean Commission Legal Analystとして欧州に派遣されていらっしゃるようである。同時にアムステルダム大学で博士を学ばれているのか、もう終了されたのか。。とにかく机上だけでなく現場をもっている議論は、刺激的である。込み入った難しい法理論の背景に、欧州で行われている、環境問題などに関する実際の攻防を感じる事ができる。というよりも現場での法実務上の経験を法理論で理解しようという傾向を感じる。
私もインド太平洋という現場での経験を、クールヘッドで理論的に理解し論じたいという動機から2つ目の博論を海洋法で挑戦することになったので、現場を知らない議論は読んでいて満足できない。
目黒、小栗論文とも国際法の主体である国家とは何かを議論されている。私が扱おうと思っている、また今実際に対応している太平洋島嶼国の法執行機能の限界と挑戦、それ以前のそもそも国家としての機能の限界と挑戦に重ね合わせて読むと、難しい法理論が現実の世界につながっていくのである。
今シンガポールを建設した「ラッフルズ伝」を読んでいるのだが、英国国王の信託を得た東インド会社のラッフルズがジョホール王国の王位継続問題とオランダとの植民地競争の中で条約を締結する過程も重なり、国家とは何かというクエスチョンは何か永遠のテーマであるような気もして来た。
関連論文を数十本読んで、目黒、小栗論文も2、3回読めば、ここで議論でるかもしれない。これは宿題。今は読んだ、面白い、というメモだけ。
<追記>
書きながら思ったこと。目黒さんは気候変動や海洋保護の法的議論中に登場する「主権国家」太平洋島嶼国が、環境保護を欧州で叫びながら、大統領が中国マフィア三合会を招き入れ、法務大臣が違法ギャンブルを見逃し、今また議会が違法ギャンブルとそれを支えるあらゆる違法行為を合法化しようとする動きがあること(月刊正論新年号に寄稿しました)を知ったらどういう反応をされるだろうか。