矢内原忠雄全集第三巻には『南洋群島の研究』と『帝国主義下の印度』が収められている。
ミャンマーの件を矢内原が書いているとすればこの印度の研究にあるかもしれない、とめくってみた。
1936年10月。東大を追われる1年前の論文だ。
4章からなる。
第1章は印度問題概観
第一節は貧困と無知 7割が農業人口。 農民は 負債の中に生まれ、負債の中に生き、負債の中に死んでゆく、と書いている。
女性が働くにあたり子供を預ける施設がなく、アヘンを与えて家においておく、とのこと。 子供の98%がアヘンをやっている。
印度の衰退は英国に責任がある、と書いている。ビルマの分離は印度のドミニオン要望を受けようとしている、みせかけの行動。という意味だと思う。
第2章 印度幣制の植民政策的意義