やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

樋口レポートとインド太平洋構想(2)

早速、樋口レポートはこれですか?という問い合わせがあった。

『経済戦略会議報告 樋口レポート 』日刊工業新聞特別取材班 1999年04月

違います。以下のサイトにあります。

この重要な報告書が、なぜ政府のウェブに掲載されていなのか?

 

「リベンジとはどういう意味ですか?」という照会もあった。

私がここで使う「リベンジ」とは相手を打ち負かすことではない。相手を自分の思うように動かすこと。自分の目標を達成させることである。よって私が渡辺先生に宣言した樋口レポートのリベンジとは、樋口レポートを実行に移す事である。

それが2008年に私が一人で、というかさんざん豪州王立海軍、日本の外務省、笹川平和財団幹部に足を引っ張られなが一人で立ち上げたミクロネシア海洋安全保障事業である。ちなみに立ち上げるきっかけとなった、笹川陽平著の正論の後半全部私のアイデアである。言わないできたが、何も知らない人が事業を進めるとミャンマーのような惨劇が生まれるので強調したい。笹川陽平はミクロネシアのことも太平洋の事も、海洋安全保障さえも何も知らない。批判ではない。そういう立場だ。私に意見を求め自分の論考に全て入れてくれ、さらにそのアイデアの実行を私一人に任せてくれた同氏には感謝している。が、ミャンマーの惨事を知れば、事実は隠しておくべきではない。

 

さて樋口レポートだが、それがなぜ、どのような背景で策定され、どのような運命を辿ったのか。秋山昌廣著『日米の戦略対話が始まった』に詳しい。私はこれを読んで初めて樋口レポートの意味を、意義を、使命を知った。しかも執筆者の渡辺昭夫先生の門下の端っこでぶら下がっている程度の立場だが、10年近く、一緒に太平洋や沖縄を回らせていただいたのだ。

 

樋口レポートの存在さえ知らない、という安全保障専門家がいるのでブログにまとめる事とした。樋口レポートを最初にさらっと読んで、秋山昌廣著『日米の戦略対話が始まった』を読み、再度樋口レポートに戻ることをお勧めしたい。次からは『日米の戦略対話が始まった』を紹介する。