渡辺昭夫著「冷戦の終結と日米安保の再定義 ― 沖縄問題を含めて」を読んで
東京大学名誉教授渡辺昭夫先生は笹川太平洋島嶼国基金2代目運営委員長である。
初代の笹川陽平運営委員長の10年が組織立ち上げの試行錯誤の時代であれば、2代目渡辺運営委員長の10年は基金の方針をより鮮明にした時代、である。
日本語の太平洋島嶼国関連書籍で唯一納得できるのが渡辺先生の著書であった。1997年、在籍されていた青山学院大学の門を叩き、修士論文をご指導いただいた。その後、運営委員長をお願いすることになった。20年間の笹川太平洋島嶼国基金の自分の業務中で、一番貢献したと自負できるのは渡辺昭夫先生を引っ張ってきたことである。
渡辺昭夫先生については山ほど書きたい事があるので別の機会に譲る。
今回は、この9月、国際問題研究所から出された渡辺先生の論文「冷戦の終結と日米安保の再定義 ― 沖縄問題を含めて」について少し書きたい。
これを読んだのが、9月のキャンベラ出張中で、豪州とミクロネシア政府を相手に結構密度の高い交渉をしている最中であった。
百の議論をすっ飛ばして始まったミクロネシア海上保安案件はこうして議論に戻る必用がある。そして自分が今何をしているのか再定義することができた。
同論文は日米安保を生成・持続・変化・消滅の四相の「道理」で分析して行く。
1950年に生成した日米安保は、1960年の安保改定が第1の変化であり、1970年の沖縄返還時の再調整が第2の変化、そしてベルリンの壁崩壊が第3の変化であるとする。そこに通底する主題が日本の防衛努力の増大というテーマである、と述べる。
細川内閣の時に発表された「樋口レポート」の中心メンバーが渡辺先生である。このレポートのキーワードの一つが「協力的安全保障」である。
猪口孝先生によれば「「協力的安全保障」とは冷戦後期に使われ始めた概念」であり、その後日本のような非指導国も「国家安全保障」から「国際安全保障」の概念で考え始める様になった」という。
しかし、日米安保は2国間のものという根強い思考法があり、「日米安保は国際公共財」との理解は全面勝利を収めたわけでない、と分析する。
以下、愚見。
沖縄の米軍に出て欲しいと思っている日本は、米軍のいなくなった日本の「国家安全保障」をどのように維持するのかということしか考えなくて良いのだろうか、という疑問を持っている。また、グアム移転に伴う日本政府の支出をなるべく押さえようと考えるだけで、出した金をどう利用できるかまでは考えていない。
日本国民はべトナム政府が早速高官をグアムに派遣し、ビジネスチャンスを狙っていることなど知らないであろう。
それで、キャンベラのホテルで唸っていた時に、渡辺先生のこの論文を読んで、はたと気づいた。
自分が進めるミクロネシア海上保安案件はミクロネシアの海域を中心とした「国際安全保障」を米豪と共に、しかも非軍事の分野で進めようとする内容である。
米軍の出て行った沖縄の穴を埋めるのではく、広くアジア太平洋の安全保障に関与しようとするものだ。それはグアム移転に日本政府が拠出した莫大な予算を悔しい思いで見ているのではなく活用しようとすることでもある。
もしかしたら日米安保の第4の「変化」をこのミクロネシアの案件が導くのではないか、と思うと尚更今潰してはいけない、という思いを新たにした。