笹川太平洋島嶼国基金での20年。
多くの方に助けられてきたが、まだ20代の頃、海の男の一言が救ってくれた話を紹介したい。 電気通信大学の田中正智教授である。
田中先生は、若い頃船舶通信技師として遠洋航海船に乗船し、世界の海を股にかけていた。
その後、電気通信大学の教員として、学生の指導をされると同時に、海洋の通信技術始め遠隔教育の研究もをされていて、ちょうど笹川太平洋島嶼国基金がPEACESATやUSPNetの支援を始めた時にお会いし、協力をいただくこととなった。
財団に入って2年目。遠隔教育の研究会を立ち上げた。2年間で3千万円強の事業予算を獲得。社会学者の加藤秀俊先生が二つ返事で研究会の委員長を引き受けてくださった話は下記 のブログでご紹介した通りである。
ところが、第1回目の研究会で、この加藤秀俊先生から、とんでもない発言が。
「出張に笹川の人に来てもらっては困ります。」
当方、まだ20代。自主事業としてゼロから研究会を立ち上げ、数千万円の予算を獲得するまでの苦労は若いからできたにしても、大変だった記憶がある。それで、大粒の涙がぼろぼろこぼれてしまった。
シーンと静まり返る委員会。
「私たちは加藤さんに来てもらっては困ります。」
田中先生だった。
そして他の委員もさすがに加藤先生の対応に疑問をもたれたのであろう、賛成してくださった。
先日、久しぶりに田中先生にご挨拶に伺った。
退職されて10年経つが、ボランティアで大学内に電気通信博物館を設立、運営されている。
プレハブだった博物館が立派な校舎に移動していた。
海上無線通信士の消滅と共に100年の歴史に終止符を打って解散した船舶通信士労働組合がその資産2億円を寄付したのだそうだ。
神様は見ているんだな、ジュピターの見えざる手は確かに存在するんだな、と思った嬉しい一日でした。
調布にあります。