やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

アダム・スミスの植民論

 アダム・スミスの「国富論」の中にかなり長文の植民を議論した章があることを知っている人に今まで出会ったことがない。みんな、「国富論」を読まないで「ああ、見えざる手ね」と知ったかぶっているのは100%確実である。

 日本の植民政策、即ち新渡戸と矢内原はアダム・スミスの植民論にかなり依拠しているのであるが、そのことを議論した論文は数点しか見ていない。

 そこで数年前同志社大学の植民政策を研究した若手博士に聞いたら、スミスの植民論は60−70年代に議論し尽くされている、と教えてくれた。同志社大学の「CiNii Articles」というサイトで「スミス」「植民」といキーワードを入れて出てきたのが34件の論文。そこから6本をピックアップして読んでみました。

 

アダム・スミスと北アメリカ植民地問題 / 八幡 清文, Kiyofumi Yahata

国際交流研究 : 国際交流学部紀要 (18), 179-214 (2016-03) フェリス女学院大学国際交流学部紀要委員会
 
アダム・スミスの北アメリカ植民地発展論 / 榎並 洋介
星薬科大学一般教育論集 = Hoshi journal of general education (14), 31-60 (1996) 星薬科大学
 
アダム・スミスのアメリカ植民地論 : 併合か分離か / 榎並 洋介
星薬科大学一般教育論集 = Hoshi journal of general education (12), 15-39 (1994) 星薬科大学
 
アダム・スミスの植民地觀の由來と地位 / 長田 三郎
經濟論叢 18(5), 1007-1016 (1924-05-01) 京都帝國大學經濟學會
 
アダム、スミスの植民論 / 堀切 善兵衛
三田学会雑誌 5(3), 301(91)-316(106) (1911-04) 三田学会
 
アダム・スミスの植民地論 / 長谷川 貞之
横浜商大論集 13(1), p28-53 (1979-12) 横浜商科大学学術研究会
 
 
まずは1924年の長田先生の論文。10ページの短いものである。
アダム・スミスの植民地觀の由來と地位 / 長田 三郎
經濟論叢 18(5), 1007-1016 (1924-05-01) 京都帝國大學經濟學會
長田は矢内原のスミス論にも反論している。下記のデータでは35歳の若い人生だったようだ。矢内原より6つ若い。
長田三郎(おさだ さぶろう、1899-1934)
大阪市出身。京都帝国大学経済学部を卒業。大阪市立高等商業学校教授を経て九州帝国大学法文学部助教授に任ぜられ、植民政策の講義を担当した。昭和9年1月に病没。遺著に『植民政策研究』(秀巧社、1935)。
 この論文を書いたのは25歳、ということになる。
 まずは、国富論が初版後、何度かに渡り、スミスが手を入れ、文章や章自体が大きく増えており、それはまさに、米国の1776年の独立宣言と、1777年の連邦国家として形成していくことに呼応していることを指摘。
 長田氏は国富論における、植民の章のページ数の多さに注目する。第一版では1090ページ中110ページ。第三版では1480ページ中170ページ位で1割前後を占める。そしてスミスの自由思想、植民地運営のあり方(独立促進か連合か)、スミスの書簡による植民政策観の分析の可能性などを軽く議論している。
 「雑録」という箇所への寄稿であり濃い内容ではないが、スミスの国富論が職位mん政策であることを明確の指摘している。なお、この論文を出した翌年、翌々年には矢内原のスミスと植民に関する論文を巡って紙面で大喧嘩している。矢内原は相手にしていなかったようだが。