やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

『歴史とは何か』EHカー著、岩波新書、1966年

沖縄旅行の鞄に入れたもう一冊は、マーガレット•マクミランの『誘惑する歴史』に比べ重い内容である。

EHカー著『歴史とは何か』

読破してまとめる力がない。

よって、「歴史にif はない」と誤用、濫用されている点だけ指摘したい。

ifで歴史を検討しなければ何も学べないのではないか、と思っていた頃、小室直樹さんが、あれは単純実証主義である、と指摘していて、やっぱりね、と思った。

それでも「歴史にif はない」と、大学教授からジャーナリストという知的職業の方達が濫用しているんで、カーの『歴史とは何か』を手に取った。

同書の、「IV歴史における因果関係」の章にある”思想上の「未練」学派” が、一人歩きする「歴史にif はない」のオリジンのようである。

私は歴史学者ではないので、間違っていたら指摘してください。

カーは、”思想上の「未練」学派” というより、”感情上の「未練」学派” であると、批判する。

カーは自分が書いた1917年のロシア革命について、「直接間接、ポリシェヴィキの勝利が生んだ結果のために損害を蒙った人々、あるいは、この結果が更に生むであろう遠い帰結を恐れている人々」から攻撃を受けたという。それはカーが、即ち歴史家が、ifを使って、彼等の立ち場を弁明したり、慰めたりしないからである。

当方が、沖縄旅行で、「もし」を使って、日本復帰の件をヒアリングしたのは、親米派や独立派を喜ばしたり、悔しがらせたりするのが理由ではなく、米国の自由連合協定下で独立したミクロネシア諸国が今後どのような道を歩いて行けばよいか?という未来への質問があった。

「歴史にif はない」使う前に『歴史とは何か』を読んでみてはどうだろうか?

できれば歴史学者の解説をお願いしたい。

カーはああだ、こうだ、と色々な角度から議論していて、当方には歯が立たない。