やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

神武の海洋安全保障政策 (4) UZU関門海峡

神武東征を追う旅。

日向を出立した神武は関門海峡を通過して北九州岡田宮に入る。 そこまで行く余裕がなかったので、赤間神社のある下関で一泊する事に。

異色のファーストレディ、アッキーこと安倍昭恵夫人が応援するUZUという関門海峡沿いに建つ宿を取った。 船はひっきりなしに目の前を通過する。 海保のウェッブによると多い日は一日に千隻の船がこの関門海峡を通過するのだそうだ。

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海峡と言えば海賊、である。
神武がこの海峡を通過して岡田宮にしばらくいたのはこの地域の海洋安全保障構築のためだったのではないか?日向と大陸を結ぶ交易で海賊の被害に合うのがこの関門海峡だったのでは? もし神武東征が2千年位前の話であれば、漢王朝の、すなわち近代貿易が開始した時代に重なる。 神武とその部族が突然平和の使者になったのではなく、安定した貿易が行われるよう海賊退治と新たな海上貿易ルートの確保が神武東征の目的だったのではないだろうか?
中国の記録には2千年前、日本(多分西部)には百位の部族がいて争っていたそうである。
貿易と海上交通構築のため、慣習や言語の違う多くの沿岸の村々に、神武は漢字やその他コミュニケーションツールを導入したのではないだろうか?

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写真は宿のUZUの部屋から。 ここで関門海峡を眺めながら神武東征の意味を考えた。 しかし、下関は、考古学遺跡も豊富で、平家物語、日清講和条約、巌流島等々山ほど歴史があるのに観光に生かされていないような印象をもった。 旅人が求めるものと地元の人がイメージするものは違うのだ。
 

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