やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

ポートモレスビーと東亜の解放

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 大凡30人のバングラデシュ人を乗せたバヌアツ発の飛行機は4時間も到着が遅れ、乗り継ぎのシンガポール行きの飛行機を逃してしまった。パプアニューギニアの首都ポートレスビーに思いもかけず一泊する事となった。

 そこは2002年パプアニューギニアの国父ソマレ閣下が再選を果たしたお祝いをしに笹川陽平さんが訪問することになった時泊まったホテルだった。なぜ覚えているかと言うと私は妊娠6ヶ月位の安定期で陽平さん直々に同行して欲しいと言われ、散々迷った挙句同行させていただいたからだ。パプアニューギニアは治安が悪いだけでなくマラリアもある。そこにお腹の子供を抱え訪問することは「母親」にとって大きなギャンブルだ。しかし「当時」は私を評価してくれている陽平さんに「感謝」していた。なんとかその「評価と期待に応えたい」と思っていたのだ!

 陽平さんのためにかなり大掛なプレスコンフェレンスを地元の太平洋報道協会の協力得て実施する事ができた。ソマレ閣下を尋ねウェワク訪問も成功した。当時の室長だった関アキなんとかと言う人物は全部自分の業績にしたであろう。そんなつまらない事はどうでもいい。

 

 泊まったクラウンプラザは前首相のオニールが買い取って、それを中国人(マレーシアかインドネシアの)に転売したのだと言う。タクシーの運転手は私が日本人とわかると中国人批判を始めた。中国製品は安いけどすぐ壊れる。それにパプアニューギニア人を安く使う。労働法とかないの?と聞くと政治家が賄賂をもらっていて労働法も関係ないの、とのこと。

 

 中国べったりだったオニールは大きな汚職が明らかにされ政権は変わった。オニールの汚職は以前からわかっていたがそれが許容範囲を超えたのであろう。現政権が今オニールの汚職を明らかにしようとしている、と言う。APEC開催で大きな、違法なお金が動いた。その一つが40台前後購入した高級車マセラティだ。これはニュースになって世界に流れた。

 

 30年近くパプアニューギニアを見てきている私にとって、先進国のような道路と空港はまさにミラクルだ。全部中国の支援である。インフラが整備されればビジネスが生まれる。パプアニューギニア全国からポートレスビーに人が集まる。以前はギャングとなって治安を悪化させていた。今でもいるのだそうだが、以前よりかなり減っていると。

「でも街を一人で歩いてはダメだよ」と。やっぱりまだ危ないんじゃない。。

 

 ホテルの部屋から高層ビル群が見え、その間で地面に野菜や果物を置いて販売している老人がいる。その前を通った親子はその「お店」の前に腰を下ろす。貧困はまだまだあるのだ。

 

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タクシーの運転手に

「日本人は問題ない?」と聞いた。

「日本人はフレンドリーだからいいんだよ」

私が日本人と知っているから悪口を言うわけがない。

空港の検査中「日本人か?」と聞かれ

「日本人ってわかる?」

と聞き返したら

「(中国人とは)ちょっと違うんだよ。」と嬉しそうに言われた。

 

 空港はここがパプアニューギニアか、と昔を知る自分は感動を超えショックだ。写真を撮りまくった。 最後に尋ねたのは安倍総理のウェワク訪問をアレンジした2014年だ。ウェワクは柴田中尉が上陸しソマレ少年に独立の精神を教えた場所、ソマレ閣下の地元なのである。当時パプアニューギニア政府は安倍総理の訪問先を迷っていた。ここら辺の私のロビーイングは別の機会に書こう。

 Duffyというカフェに入ると、ショウケースに並べられたケーキは英語と日本語の表示なのだ。中国語がない!中国が支援した空港なのに!

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 ブリスベン行きの飛行機を待つオージー達が今目の前にたくさん座っている。見るからに建設や鉱山関係者。パプアニューギニアは豪州の縄張りだ。日本からオーストラリアを守る前線基地でもある。だから戦前日本が南洋統治地域から足を伸ばし、パプアニューギニア北部にビジネスを展開した時神経を尖らせたのである。白豪主義は日本にきて欲しくない政策である。日清、日露戦争での日本の勝利は彼らには脅威でしかなかった。その彼らを第一次世界大戦中守ったのは日本である。その事は日本人でさえ理解していない。

  戦争開始後に作成された重光の戦争目的、東亜の解放は資源の解放もうたっていた。当時の軍部は資源の独占を譲らなかった。今パプアニューギニア自体もその資源も解放されている。この状況を知れば重光はそして重光と親しかった笹川良一は喜ぶであろう。今は日本が、中国が、そして西洋諸国が解放されたパプアニューギニアの資源を開発している。但し、その利益がパプアニューギニアの人々に適正に分配されてはいない。

 それでもパプアニューギニアの発展は目覚しい。

 パプアニューギニアの解放を支援した柴田中尉、笹川良一、特に東亜の解放を目的に命を失った多くの日本軍の兵士たちにこのパプアニューギニアの発展を見せたいと思った。