やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

後藤新平の植民政策(13)植民政策一班

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後藤新平の台湾植民政策。

「植民政策一班」から、第一 緒論及び日本植民政策の史的経済的関係、の後半。

米国ウィスコンシン大学のポール・エス・ランチ教授 (Paul S. Reinsch) の本の中でいかに日本の台湾植民が優れているか書かれた文書を紹介している。その中には交通機関の改善、自然資源の開発、商工業経営の推進を基盤に、狭い利己的精神で先住民を服従させようとするのではなく、啓発し彼らの幸福を計ることに主眼を置いた、と賞賛している。(本当であろうか?原文を読んで見たい。)

次に後藤は、植民成功の要点として国民的条件と個人的条件をあげている。これも一部だけ紹介しておく。

後藤は植民地政策上の言語の問題を取り上げている。どの言語教育をどうするのか?ポーランドのドイツ語強制法、露西亜語同化法の問題も十分理解した上で、植民者としての権威を示す必要もあり難しい問題である、と。

その他日本母国の経済が健全であること、人口が増加していること、強大なる陸海軍があることを指摘。

 

個人的条件として第一に健康が重要。第二に道徳的信念。支那が分裂した背景には家族的生活と迷信が社会道徳を支配している。第三に冒険心。第四が同化力。

台湾植民の成功は後藤の自慢ではなく、大和民族の栄光である。地籍、人籍の調査。土地調査、鉄道の貫通、築港、水道敷設、水利病院、養老尚歯。病院などは日本よりも良い病院を作った。「信愛の情に出たる人道主義の文明植民政策」

興味深いのは日本政府の干渉を防ぎ、総理大臣始め日本の政治家の「頭脳を拓殖すること」という説明が続く。

そして治安維持。多少、いやかなり議論を呼んだらしい土匪鎮定だ。明治31年から35年の間に11,950人の土匪を殺している。之に関しては日本国内から非難囂々だったらしいが、土匪に苦しめられていた外国宣教師などは徳政であると評価していた、と書かれている。土匪は村民に搾取略奪を重ねていたらしい。

最後に、日本でも撲滅できていないペスト、そしてマラリアを撲滅したこと。

台湾の欠点として、土匪、生蕃、悪疫、良港がないこと、科学芸術に欠けていること、の5点をあげている。

法律に関しても混乱していたため、岡松博士が習慣制度調査を系統的に行い、織田萬教授が清国行政法を編集。この頃の法律は今どうなっているのだろう?