やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

アダム・スミスの植民論(2)堀切善兵衛

2本目は堀切善兵衛氏の論文。講演会の記録のようである。

アダム、スミスの植民論 / 堀切 善兵衛

三田学会雑誌 5(3), 301(91)-316(106) (1911-04) 三田学会
 堀切善兵衛氏、慶応を1904年に卒業。米英独を留学後母校で教授に。この講演をした翌年の1912年から国会議員。大島浩大使とともに大戦下における日独伊三国の協力関係の構築にあたる ー 興味深い。以上全てウィキ情報です。

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堀切善兵衛氏ウィキより

 堀切氏が英国滞在中(明治40年夏)、貴族議員をエジンバラのスミスのお墓に案内する話から始まる。スミスの墓があまりに質素で驚いたが、スミスは世界を豊かにしたと説明している。
 次に他の論者と同じく「国富論」が植民に非常に重点をおき、それはその頃の米国の独立問題と密接に関係していることが書かれている。そして7章の植民について書かれた箇所が3節に分かれていて、それを完結にまとめている。
 一節は植民地設立の原因をギリシャ、ローマを例に上げ議論。
 二節は英国の植民地成功の背景にあるのは、蘭、仏などに比べ自由な経済活動があること。
 三節は本国と植民地の利益の関係。植民地にかかる費用は大きく一部の独占企業にしか利益が回らず英国は不利益を被る。自由貿易主義を主張。
 
 最後に、米国は英国から独立したが、その他の英国領は(豪州、カナダのことかと思いますが)保護領として留まったことをスミスは苦笑いするであろうと結んでいる。