『カール・シュミットの死』という長尾龍一教授の本を手に取ったところ、表題のテーマは沢山ある小論やエッセイの一つで、長尾教授と満州の関係を知る『ヤルタとポツダムと私』エッセイも収録されていた。
後藤新平が開発した満州の最後にいた、日本人の一人でいらしたのだ。
これで、長尾教授がご専門の法哲学以外の「ラティアモア」に並々ならぬ興味をもたれ本を書かれたことも理解できた。
「五族協和」「王道楽土」の言葉に釣られて満州に移民した長尾家は、最後は日本軍に置き去りにされ、当時3ヶ月だった長尾教授の弟は移動中に亡くなられ、悲惨な状況に追い込まれたのだ。長尾教授ご自身も戦争孤児になる寸前であった。
長尾教授が米中vs日の関係を悪化させる一因を作ったであろう、太平洋問題調査会のラティモアに興味を持たれたのがわかったような気がした。
長尾教授の満州での記憶は、カール・シュミットへのご関心にもつながる要素、なのかもしれない。