カール・シュミットが法学の祭壇に供えた書『大地のノモス』の第3部、第3章
海洋の自由は下記の4項から構成される。
a) 二つのラウム秩序 ー 確定せる陸地と自由なる海洋 p. 208-212
b) 自由なる海洋は、無主物 [res nullius]か、あるいは全体物 [res omnium]か? p. 212-215
c) 海的存在へとイギリスが移行すること p. 215-218
d) 百年にわたる文書合戦 p. 218-222
e) 海洋の根源的な自由から海洋の秩序づけられた自由へ p. 222-226
以下、一読した際に棒線を引いた箇所だけメモしておく。
序文 p. 208
・海洋は、国家領土でも、植民地的なラウムでも、先占できるものではない。
・海洋は、海岸線以外の境界をまったく知らない。
・すべての国家にとって自由であり公開されている唯一の領域ラウムなのである。
a) 二つのラウム秩序 ー 確定せる陸地と自由なる海洋 p. 208-212
・16、7世紀の偉大な国際法上の全決断は、陸地と海洋との均衡において、また、その緊張に満ちた並存の中に初めて大地のモノスを規定したところの二つの秩序の対置において、頂点にたっしたのである。
・イギリスは、大地の海的な側面への移行を完成し、海洋から、大地のノモスを規定したのであった。
・海の海洋法の歴史家オートフィーユの言葉「海の均衡は存在しない。大洋はあらゆる国家にとって共有であるから、たった一つの国家の餌食である。」
・もしも海軍国間の均衡があったならば、海洋は分割されヨーロッパ公法における…陸地と海洋との偉大な均衡は破壊されたことであろうが。
・国家からの自由について二つの概念を形成しヨーロッパ公法の海的側面を規定した。海洋の自由と海上貿易の自由。
・海洋の自由は四百年にわたる論争の中ではなはだしく分裂して述べられてきた。戦争法の顧慮なしに、平和の法を分離して取り扱うことが慣例になった。ジルベール・ジデルの国際海洋法の記述は平時の法しか扱っていない。
b) 自由なる海洋は、無主物 [res nullius]か、あるいは全体物 [res omnium]か? p. 212-215
・海洋の自由を伝来のローマ法的な概念モデルに固執したことで問題を混乱させた。
・ローマ法の伝統とは、沿海文化で生じた水利法。新しい世界的大洋に対しては空虚な遊戯でしかない。
・海洋国際法の最近の議論でも海洋は全体物か無主物かという議論である。仏のエクスパートと英のセシル・ハースト。
・戦争の時には、海洋の自由というものは、世界的大洋の表面はすべて、戦争遂行および鹵獲権行使*の舞台として、戦争を遂行する全ての権力に自由にまた公開的になっていることを意味するのである。(現在の状態?)
c) 海的存在へとイギリスが移行すること p. 215-218
・チュードル王朝もスチュアート王朝も…略奪した財貨のおかげで、良心の呵責なしに豊かになったし、イギリス全人民も同様。
・しかし、海洋の自由の思考上、新しい原理や明確さを欠いていた。
・それでもイギリスという島は大地の新しいノモスへとラウム変化の担い手になった。トマス・モアのユートピアという言葉に示されている。
・シュミットはトマス・モアのユートピアについて議論している。
d) 百年にわたる文書合戦 p. 218-222
・海洋自由の本来の問題は海戦遂行の自由に、中立者の貿易の自由との間の衝突に存在する。
・Eナイス、ビトリャ『インディオについて』等。しかしほとんどが大洋ではなく沿岸漁業についての議論。
・グロティウスが1609年匿名で出版した『自由海論』はイギリスの独占要求に反対。最近の研究ではグロティウスがジェンティーリに強く依存し、スペインのスコラ哲学者の論拠が丹参に繰り返されているだけ。グロティウスは海洋の新しい自由に必然的に伴う戦争と平和のラウム具備的な衝突に気づいていない。
・Jセルデンの『封鎖海論』は博識にも拘らず古い思考経過と問題意識。グローバルな正解帝国の首都としての島国イギリスのことは述べていない。
・1713年のユトレヒトの平和でヨーロッパ公法の新しい段階が始まる。
・1782年のガリアニの著書で沿海三海里地帯という正式な数字が確立し20世紀まで続く。
e) 海洋の根源的な自由から海洋の秩序づけられた自由へ p. 222-226
・1713年のユトレヒトの平和の時点で、新しい海洋自由の法史的系譜が認識できる。
・一つ目は海洋は自由な能力試しのラウム。隣国の独占に反対し、教会的思考から国家的思考へ。
・海洋秩序と陸的秩序が並存。それは確定している陸地と自由なる海洋を分離することで、英国の海洋帝国が植民地支配に結びついて確立した。(ここは自分の解釈)
・しかし、それはヨーロッパ公法が国際法に解消してしまう20世紀初頭までの秩序。
*鹵獲権行使 ろかくけんこうし
「航空軍事用語辞典」から
http://www.weblio.jp/content/鹵獲
戦場において、商取引なしに物資や兵器などを入手する事。
捕虜から没収する場合と、死体から漁る場合と、撤退時に放棄された物資を回収する場合がある。
鹵獲される物資の大半は食料・弾薬・歩兵の個人装備などといった雑多な消耗品である。
戦車などの兵器は戦闘によって破壊されるため、兵器が稼動状態のまま鹵獲されるのは比較的珍しい。
鹵獲兵器として最も代表的なのは海戦で拿捕された艦艇である。
しかし、軍艦は沈没が確定するまで降伏しないのが通例であり、実際に拿捕される艦は多くない。
陸戦では占領した基地の在庫が最も多く、捕虜の武装解除時に没収する装備がその次に多い。
墜落した航空機はほぼ確実に大破するため、空戦によって何かを鹵獲する事はまずない。
歩兵が航空基地の占領を目論んだ場合にも、自力で飛んで撤退が可能なため、軍用機の鹵獲は極めて困難である。
鹵獲された兵器は、既知のものであれば自軍の兵器として流用される。
何らかの疑問点があれば後送してリバースエンジニアリングにかけられる。
そうした利用価値すらないものである場合、前線で発覚したなら破壊・放棄され、後送後であれば倉庫に死蔵される。
今日、我々が博物館などで目にする旧時代の兵器の多くも、軍から譲渡された鹵獲品である。
戦争犯罪としての鹵獲
戦時国際法では鹵獲しても良い物資を敵国の国有財産のみに限定している。
また、これを鹵獲する権利も国家の軍隊に対してのみ認めている。
従って、一般市民に対する掠奪行為や鹵獲品の横領は戦争犯罪である。
とはいえ、戦時国際法の例に漏れず、この原則は実際の戦場においてしばしば黙殺される。
特に消耗品は戦場での監査に不備が生じやすく、後から入手経路を追跡調査するのも困難である。
もしもその事実が発覚すれば軍法会議の対象となるが、憲兵が鹵獲品の明細を完全に把握するのは不可能である。
例えば、ある兵士が支給品以外の食べ物や服、銃などを所持していたとする。
この場合、その物資の入手経路としては以下のようなものが考えられる。
以下のいずれであるかは必ずしも問われないし、入手した事実そのものも報告されない事が多い。
本当は支給品なのだが、何らかの事務的ミスが原因で記録が失われているもの
兵士個人が自宅から持ってきた私物
兵士個人の家族・友人が送ってきた差し入れ品
匿名の国民・市民団体から軍に寄贈され、分配を受けた慰問品
戦場の片隅に放置されていた物品
戦死者の遺品
作戦上の都合などで他の部隊から融通された物資
基地内の酒保で購入したもの
現地住民から軍票や現地通貨で購入したもの
現地住民や友軍兵士から奪取した物品
部隊単位で現地の村落や避難所を襲撃し、老若男女問わず皆殺しにした上での「戦利品」