昨日、今日の2日間、オタゴ大学で“Reconsidering Gender in Asian Studies: A Pacific Perspective”というシンポジウムが開催された。
2日目のキーノートアドレスが琉球大学の喜納育江教授だ。タイトルは
“Rethinking ‘Empowerment’ of Indigenous Okinawan Women: Feminism, Indigeneity, and Gendered Experience in Okinawa”
南半球に初めていらしたという喜納教授と金曜日にお話ができた。
沖縄をどのように語ればよいか?とのご質問。
ニュージーランドの人はナーニモも知りません。米軍がまだ沖縄にいることも、日本政府がお金を出している事も、話しても理解できないのです。(それほど異常な状況である、ということだが)
世界で一番平和な国ですからね。米国にハッキリと核持ち込みノーと言った国なんです。
密約は秘密通信傍受基地だけです。(今のところwikileaksでバレたのは。)
それに、世界で始めて女性の投票権を認めた国で、差別に対する意識は強いのです。
と応えた。
喜納教授のスピーチは圧巻だった。93年頃から沖縄通いをしている自分にとってはほぼ知っていた話ではあるが、やはり沖縄の事は沖縄の人に語っていただくのが一番である。
30人程の聴衆は取り憑かれたように聞き入っていた。
質疑応答では多くの質問が出て、自分の番が回ってこなく残念だった。がそれほど刺激的な内容であったのだと思う。また沖縄社会は太平洋島嶼国とも共通する点が多く、聴衆者は多くの興味を持ったに違いない。
私の質問は「沖縄は日本か?」という喜納教授や聴衆者の質問に関連する。「日本人とは何か?」なのである。民俗学者の柳田国夫が「海上の道」を唱える以前は、柳田が嫌った考古学や民族学が日本は多民族国家である事を認めていた。
『単一民族神話の起源』が明らかにされれば沖縄vs日本という二項対立の構図自体が崩れて行き、それは結果として、沖縄の固有性をより自由に語ることになるのではないか、と考えている。
<コメントをいただいた方へ>
喜納先生のすぴーちで圧巻だったのは、沖縄が、そして沖縄の女性が受けてきた暴力や差別をすうっとお話になったところです。
この手の話は恨み節になったり、逆に人ごとのように話されたりする事が多いように思いますが、喜納先生は(もう大分前の事で記憶は薄れていますが)淡々と、しかし、しっかり事実を見つめてお話をされたと思います。
暴力や差別はどこにもいつの時代にもありますが、それをどのように表現するか、というのは非常に難しいと思います。