やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

芸術の自由とは?モーツアルトとフリーメイソン

(京都鴨川混声合唱団ニュースレターに寄稿した記事です。同合唱団の編集委員をしています。)

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 モーツアルトがフリーメイソンのメンバーであったことは周知のはなし。フリーメイソンって?カルト集団じゃあ? メイソンは石工の意味。そのまま訳すと「自由な石工集団」。石造りが基本の欧州に比べ日本は木で家ができているので石工は日本流では大工さんですね。 

 自由な大工集団。手に職を持てば、仕事を選んで、探して自由に移動できる。そして特殊技能と知識を持ったネットワークが形成された。教会の教義に縛られない自由な芸術(技工、アート)集団。それがフリーメイソン、とも言えます。 

 石工だけでなく、芸術家も多く参加しました。ゲーテやシラー、リスト、ベートーヴェンもフリーメイソン。ベートヴェンの第九第4楽章「合唱」はシラーの歌詞でまさにフリーメイソンの精神を讃える内容。

 では、なぜモーツアルトはフリーメイソンに入ったのでしょう?当時、まだ大衆文化、マーケットがない時代。芸術家は宮廷や教会に雇われの身。モーツアルトも宮廷楽団に職を得ますが自由な芸術活動をのぞみ、召使いのようにこき使われる大司教の元を去りました。それが25歳の時。翌年26歳で結婚。28歳でフリーメイソンに入ります。そこで多くの芸術家と出会うのです。

 29歳で「フィガロの結婚」を。31歳の時は「ドン・ジョバンニ」。32歳の時に「三大交響曲」を。34歳では「コシ・ファン・トッテ」。そして亡くなる35歳の時に「魔笛」と「レクイエム」を作曲しています。

 オペラ「魔笛」はフリーメイソンと関係があると言われています。有名なアリアの夜の女王は女帝マリア・テレジアを風刺。彼女はご主人のフランツ一世がフリーメイソンのメンバーであることを知らずにフリーメイソンを嫌い検挙したのです。

 話変わって京都。蹴上の都ホテルの近く、三条通りにフリーメイソンのマークをつけたビルがあります。なんでこんなところに、と不思議でした。戦後、都ホテルはGHQに接収され米軍の住居だったのですね。米軍が日本のフリーメイソンの基盤であることも周知のこと。そして似たマークを広隆寺でも見て驚きました。毎年1月2日に行われる「釿始め」ここにフリーメイソンそっくりの定規などをあしらった飾り付けがありました。

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 自由な芸術活動を選んだモーツァルト。父親との葛藤やお金の苦労はあったようですが、フリーメイソンのマークを見るたびに、芸術家として自由を満喫した幸せな人生だったのではないかと思う時があります。 

 

<参考資料>

BROTHER MOZART AND "THE MAGIC FLUTE" by Newcomb Condee 33 deg

http://www.cedarcitylodge.org/books/Brother%20Mozart%20&%20The%20Magic%20Flute%20(7%20pgs).pdf